山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 595)

2014・10・20(月) 青色LEDノーベル賞

この10月7日スウェーデン王立科学アカデミーは2014年のノーベル物理学賞を赤崎 勇、天野 浩、中村修二の三氏に贈ると発表した。

授賞理由は「明るく省エネ型の白色光源を可能にした効率的な青色LEDの発明」とたたえ、「15億人以上の生活の質が向上した。ノーベルの遺志が求める人類全体への多大な貢献につながった」と評価している。

白熱電球は電力1ワット当り16ルーメンの発光量であるが、蛍光灯は70ルーメン、LEDでは300ルーメンと圧倒的に発光量が大きい。

赤崎氏は神戸工業(現富士通テン)から名大にうつり、松下電器産業を経て、1981年名大教授となり、青色LEDの材料として窒化ガリウムを選び、サファイアの基板に吹き付けて薄い結晶を成長させる実験を始めた。両者の結晶の格子定数が異なるため、なかなか結晶育成に成功しなかった。

天野 浩氏が研究助手となり、サファイア基板上に予め窒化アルミニウムの中間層を設ける方法で良質の窒化ガリウム結晶の生成に成功した。その間不屈の努力を重ね、1989年LED(pn接合)の作製技術を確立した。

このブレークスルーの年、日亜化学で中村修二氏の青色LEDの研究がスタートした。同氏の方法は窒素ガリウム結晶を製造するために「two flow MOCVD」を採用したMOCVDではガスを化学反応させて基板上に結晶層を堆積させる。窒化ガリウムは一筋縄ではうまくいかない。ガスを2方向から吹き付ける工夫により良好な窒化ガリウム結晶を得ることに成功した。

さらに同氏の貢献はLEDを高輝度化させるため窒化インジウムガリウムのダブルへテロ構造を発光層に使用することであった。

そもそも赤崎・天野の研究グループと中村氏は研究交流したことはなく、どちらかというと反目する間柄だった。しかし両者が互いに切磋琢磨しつつ研究を続けた結果が世界に先駆けて青色LEDの成功に到達した。20世紀中に実現不可能とまで言われ、多くの研究者が脱落してゆくなか、辛抱の一徹が栄冠を手にする鍵となった。

レーザー学会も夙に中村修二氏に研究進歩賞を贈呈してその前途を祝福したが、同氏はブランドや学閥とは無縁の世界で自らの腕と信念を頼りに光エレクトロニクスの新分野を開拓した。

2001年には製造の特許権をめぐり日亜化学と「200億円訴訟」をおこし、挑戦的な生き方で存在感を示し、日本の技術者・研究者の像に一石を投じた。

青色LEDに先駆け赤色と緑色のLEDを開発した旧友の東北大西澤潤一教授は「赤崎さんは職人肌、中村さんは天才肌」と評しているが、彼自身も同列に受賞の可能性は十分にあった。

何はともあれ、赤、緑、青のLEDがそろい、白色光源が実現したことは人類にとって大きな福音である。

今回のノーベル物理学賞受賞に心から賛辞を贈りたい。失敗は成功の母である。

お便りはcampaign@optolab.co.jpまでお願いします。

山中 千代衛