山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 597)

2014・11・4(火) アベノミクスは正念場

10月31日(金)日銀は金融政策決定会合で追加の金融緩和を決めた。昨年4月の黒田東彦総裁による異次元緩和でも景気が弱含んでいるので、デフレマインドの転換が遅延するリスクがあると考え長期国債などの金融資産を購入し、市場に資金を供給する量を80兆円に拡大するという判断だ。この追加緩和には正副総裁と研究者出身の委員5人が賛成、金融機関や民間企業出身の4人が反対する異例の僅差であった。

米国のFRBが景気の回復により量的緩和を終了したタイミングでの日本の追加緩和である。驚いた市場は反応し、円安、株高が大幅に進んだ。また同時にGPIF(年金積立金管理運用独立法人)が従来の国債運用比率を60%から35%に引下げ、かつて危険と見なされていた株式運用比率を12%から25%に引上げ、株式市場はこれにとびつき日経平均株価は17,000円を越えると予想されている。この国債比率の引下げ分は日銀の30兆円の追加緩和で日銀が引きとる構図である。円は対弗113円に低下した。

まさに日銀、GPIF、政府3者による政策パッケージだ。これは政府が必要とする資金を日銀が手当てするという「禁じ手」である。金融緩和を続ければ原油など輸入価格が上がり、いずれインフレ率が高まる。本来の成長戦略がないままではアベノミクスは展望が開けない。政府は金融政策の限界を認め、これへの過度の期待は持つべきではない。

追加緩和を繰り返し、米国のように金融政策を平時に戻す出口が描けず、異例の政策が長期化する恐れが大である。中央銀行としての自制が望まれる。これら一連の政策は年末にせまる消費税増税決定のための景気浮揚への思惑が透けている。

過去を振り返ると日本のもつ底力が見えてくる。1945年日本は廃墟の中から立ち上がり、11年後の1956年経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言し、1960年代の10年、年率10%以上の成長を続けた。70年代にはニクソンショックに見舞われたが躍進を続け、平均5?6%の成長を維持。

80年代には世界での日本の存在感は頂点に達した。日本を押え込もうという国際化の圧力の下、85年のプラザ合意で円高対弗70円となったが、内需振興に力を入れ、60年代から80年代にかけ30年間経済成長を続けた。まさに世界に例のない躍進であった。

90年代バブルが崩壊し、日本の経済成長はほぼ止った。その後の20年間停滞を続けたが、今こそ再び躍進する秋である。アベノミクスの第3の矢は今のところ不発であるが、国を挙げてイノベーティブなアクションを取らねばならない。縮小均衡では日本の財政が立ち行かない。まさにアベノミクスの正念場である。

過去の栄光に如何に応えるか、日本人の真価が問われている。

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山中 千代衛