山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 615)

2015・3・16(月) 大学の使命

かつて大学は学の蘊蓄を究めるところと定められ、研究と教育がその使命であった。

戦後大学の大衆化が計画され、1000に及ぶ大学らしきものが設立された。かつては専門学校という範疇に属した学校も大学を名乗っている。かくして今日の大学は高等研究の名の下いわゆる職業教育が主体を占めるようになった。

腰の重い文部科学省は大学を処理しかねて大学院大学という区分を設け、せめて曽ての研究と教育の場を取り戻したいと思うようになった。

ところで本来の大学では研究と教育の一体化が必須なのである。すばらしい研究テーマが出てきても、これに取り着く研究者がいなければまさに絵に描いた餅である。ここに教育の必然性が生まれてくる。

曽ての大学では3年間の教育課程を経た4年の学生はそれぞれ大学教授が主管する講座に配属され、親しく研究のあり方を伝授されたものである。これがいわゆる卒業研究で、テーマを与えられ、その対処の仕方から情報の集取、研究論文のまとめ方に到るまで。こと細やかに指導を受けたのである。

教授の側も毎年参加してくる数名の学生の教育には肝胆を砕いたものである。この人達が成長すれば自らの研究の協力者になる訳だから力が入る。

学生にはもまれにもまれ自己主張の強い者、恵まれた環境でおっとりと育った者、地頭のいい者、持久力に富んだ者、まことに各人千差万別である。それを講座のスピリットに合致するよう日頃指導し、激励、賞揚、叱咤することになる。ゼミナールを通じ、直接個人指導により、研究討論によりまさに手中の玉を育てるような努力が求められる。

大学教育の精華の大半はこの卒業研究指導で実を結んだのである。これら4年生は就職する人も大学院に進む人も一視同仁、鍛えに鍛え、磨きに磨いて卒業を迎える。この人達はまさに社会の枢軸を担える人物に育成されて行った。

いかなる人が成長を遂げるか一概には言えないが、ことに当たって決して逃げない、所要のテーマに自らを献身的に集中できる人物は未来が自ずと開けるのである。

たとえ能力があっても自分のことばかり考えている人間は大成しない。

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山中 千代衛