山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 631)

2015・7・3(月)大学改革の問題

今やユトリ教育の洗礼を受けた大学生が続々進学してくる。一概にユトリ教育を非難するものではないが、曽てジャーナリズムがつめ込み教育の弊害を大々的に喧伝したものだから文部省もその気になって、従来の教育内容を大幅に削減し、自主勉強の大切さを政策として取り入れたのであった。

その成果は如実に現れ、大学の講義について行けない者、中国の留学生の眼光の鋭さに閉口する者、まとまった討論が出来ない者、ろくにレポートも書けない者など、大学生の弱体化が顕著になってきた。役所も時代の求めに従って大学を続々設立してきた。その結果が今日の惨状である。

ところで国際競争力のある研究大学を少数に絞って資金を投入し、他は教育中心の大学にしようと計画が進んでいる。文科系の学部は縮小するという。果たしてこのような施策が成功するであろうか。

いわゆる先進大学に入学する人達は受験専門の中高校出が大多数を占めている。このような中高校は一年までに高校のすべての教科を終了して、二年、三年は受験専門の科目をこなすのである。早い話が、一般の高校出身者の二老経験を若くして卒業してくるのだ。実際の能力というより、人工的飾り付けが物を言う形になっている。

一般地方大学に進学しても、その能力次第で優れた業績を上げられるよう対処が大切である。ところが青森リンゴ大学とか長崎出島大学、富山万金丹大学などひどい色づけがなされるようなことがあれば大学教育は自滅につながる。

役人の無謬性と政治家の見識の低さとが現実の国際競争に遅れをとる現状に見てとれる。役人が政策の失敗で退職したり、政治家が大ボラで失脚したりする例はなかなか見当たらない。

その外の社会ではこれらは厳しく評価されている。教育こそ百年の計を立てて対処しなければならない。朝令暮改は禁物である。

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山中 千代衛