山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 634)

2015・8・3(月)70年前の8月

8月ともなれば若い人達にとってバカンスのシーズンである。しかし戦争を経験した年輩者にとっては暑い暑い苦しい思い出に満ち満ちた月なのである。

1945年5月には独逸が連合軍に降伏し、東独と西独に分割管理され、占領下におかれた。全世界の圧力が日本にかかってきた。マキンタラワからサイパン、硫黄島、比島と敗退に次ぐ敗退の中、まさに沖縄が本土決戦の前哨戦として6月一杯決戦が続いた。

沖縄出身防衛召集兵1万3千人、軍属5万5千240人、県民3万8千754人が犠牲となった。日本帝国陸海軍11万人、米国は40万人、を投入した。沖縄の女子学生の「ひめゆり隊」や男子学生の「鉄血勤皇隊」など島民あげて戦に参加したのである。

筆者の従兄の1人も沖縄戦で戦死している。敗戦には混乱がつきもの、住民を虐待する兵士もいて県民の軍に対する不満は現在も続いている。しかしその中で神戸二中出身の島田 叡知事は死を覚悟して赴任し、多くの県民を救うため最後まで尽力した。このおかげで20万人の命が救われたとされている。

また海軍の大田 実中将は自決の前に異例の電文を大本営に送っている。「沖縄県民斯く戦えり、県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と述べている。軍への反感の強い沖縄でも多くの人に愛されている数少ない軍人の一人である。

特別攻撃隊も米国のMD信管を備えた高射砲のため、敵艦に接近する前に打ち落とされ、日本軍は戦艦大和も特攻で出撃させたが、沖縄に到着できず撃沈されてしまった。

まさに万策尽きた時8月6日広島に、9日長崎に原子爆弾が投下され、20万人以上の人達が殺戮された。そして日ソ中立条約を破ってソ連軍が参戦し、満州、千島に侵入し日本分割占領を計ってきたのである。

いよいよ本土大決戦一億死を覚悟した8月15日天皇陛下がラジオ放送で日本の降伏を表明した。「惟ふに今後、帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も、朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て万世の為に太平を開かむと欲す」

ラジオ放送の音声はかならずしも明瞭ではなかったが、ポツダム宣言を受諾したことはよく分かった。かくて長い長い戦乱の日々が終り、新生日本の門出になったのである。

今日の日本の隆盛を当時誰が予知したであろう。まさに日本奇跡の出発点であった。8月の思いは遠くて、儚くて、そして光が見えたその秋であった。

日本軍の戦死者300万人の中200万人はこの昭和20年に集中している。天皇のラジオ放送がなかったらどれほど犠牲者が出たか分からない。戦争はまことに恐ろしいものである。狂気の世界である。

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山中 千代衛