山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 643)

2015・10・5(月)大学の変調と志操の低下

そもそも大学を中心とする高等教育の意義は国のあり方をきめる人材を養成することにある。たしかに戦後民主主義の下で国は地方大学を多数設立してきた。大学の存在価値がまるで小学校のように低下してきた。

果たして人口減少の時代を迎え、国はきわめて厳しい現状におかれている。文系学部の縮小とか地方大学の再編など、全くデタラメというかその時勝負に出ている。

何よりも残念なことは文部省が科学技術庁と橋本行革で合併になり、かつての大学支援を使命とした学術行政は、官指導型のいわゆる産業経済省型に改変されてしまった。その結果、ゆとりのあった過去の文部省は教育には適さぬ行政指導型の官庁に変容してしまったのである。

大学ではそもそも学の蘊蓄を極め、国家百年の経綸に耐える人材を養成する文化的第一義が失われてしまった。

今日の省議に関与する有識者会議も全く形骸化し、役所で決めたことを再認識する組織に変様した。役人はそのタイムキーパーのような役割を演じているのみで、今一つ昔の高い志操は望むべくもない。

国が第一等国から次第にずり落ちてゆくような時、最もしっかりすべき官僚が変質しはじめたのである。国民はすっかり変わってしまった。

政治の世界ではアベノミクスの号令の下、総理大臣以下すべて経済再生一点張りで、大国としての矜持が見られない。政治家はもっと高い理念と志操を持つことが大切だが、今日は全くそのような人材を育てぬ秋となった。

東大、京大、阪大、東工大すべて一級の国際順位から脱落し、かつての教育日本の姿はどこにもない。ただ塾のはびこりばかりが目に付くのみである。文部大臣の内閣での順位はもっともっと上位でなければ国の活力は生まれないだろう。

東京オリンピックの対応の下手さ加減には全くうんざりさせられる。無責任そのもの、まこと人材不足が極まれりというべき所だ。

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山中 千代衛