山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 650)

2015・11・24(火)またも負けたか八連隊

大阪の第四師団の中核が歩兵八連隊である。信太山に野砲、高槻に工兵隊があり、結構各地で善戦しているのだが、なぜか里謡にまで歌われている。

「またも負けたか八連隊、それでは勲章九連隊(京都)」の語呂合わせである。口数が多く、弁舌が立ち、商人気質で損得勘定に敏く、かつ反権力的という偏見混じりが大阪の兵隊は弱いという風評になった。

事実西南の役では明治天皇より戦功で嘉賞の詔勅を賜っている。太平洋戦争ではバターン、コレヒドール攻略戦で奮戦勝利しており、この里謡にあてはまらない。

しかし各連隊には県民性があり、大阪の兵隊は大阪人らしく確実に負けると分かっている時は無理せず、勝てる見込がついて反撃するという合理的な戦をした。たしかに防禦戦では東北の兵隊が強く、攻撃については九州の兵隊が力量を発揮した。

現に筆者の従兄はノモンハンで戦い、沖縄で戦死、もう一人はフィリピンで亡くなっている。決して大阪の兵隊が弱かった訳ではない。けれども昭和の時代は名に反して大変な時代だった。戦の連続である。

昭和6年の満州事変で満州国を建設し、北に備えるまではたしかに戦略もあったが、昭和7年の上海事変、同12年の支那事変に至っては目的がはっきりせず、支那膺懲というのみでは何の戦か分からない。中国は広いから国府軍蒋介石は南京で負ければ、重慶に下がり、又盛り返してくる。中共軍毛沢東はその後国府軍に連携して日本の支那派遣軍にゲリラ戦を続け、それらを米英が援助する形となった。

昭和の時代軍部独裁の政局では、戦に対する歯止めはきかず、支那で持て余してさらに米英を敵に開戦する始末。高級軍人の頭加減はどう考えてもおかしい。アメリカのワシントンにまで攻め上がれる筈がない。長い海上ルートの保安も出来ず、どうやって大東亜戦争を維持できるのか。子供もでも分かる無理である。

「またも負けたか八連隊」の余裕がなければ国は立ち行かないのである。台湾沖航空戦で日本は全戦力を失ったのだ。それを大勝利と宣伝した大新聞はまさに狂っていた。

明治、大正に比べ昭和はまことに異様な時代だった。平成に期待したい。

お便りはcampaign@optolab.co.jpまでお願いします。

山中 千代衛