山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 651)

2015・11・30(月)憲法解釈とは

明治憲法は文言がはっきりしていた。「大日本帝国は万世一系の天皇がこれを統治す。」から始まり「天皇は神聖にして侵すべからず。」とつながる。

これに比べて現憲法は昭和20年敗戦後米国から与えられたもので、そもそも日本文として全く練り上げられていない。英語の直訳であることは一見明白である。この現憲法を戦後70年一度も改訂し得ない所に、わが国の風土と因習が見てとれる。言挙げせずの哲学だ。

不磨の大典と言われた明治憲法は敗戦とともに廃棄されたが、その後の新憲法は長年の洗脳により国民の心に有難い「平和憲法」としてしみついてしまっている。

戦前戦中を知る我々から見れば必要な改訂はあってしかるべきと思うのだが、小学生時代敗戦で教科書に墨を塗って育った現役の働き盛りの人達の心証は全く異なるようである。教育はまことに人を変えることが出来る。

特に憲法第九条「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。」とあるのに自衛隊は現存している。護憲だけれども憲法解釈により自衛隊は現状でよいというのは全く論理が合わない。現実に世界が変わった時には憲法もそれに適合するよう手直しするのが世界の常識である。

この常識と論理に頑固に反対する人々は世界でもまさに奇妙な存在である。論理学を全く理解していない。憲法解釈により独立国として自衛の軍隊はもってよいという。ところが新憲法は日本の自立など全く念頭にないのである。他国の正義と信頼によって生きてゆけという文意である。早い話が米国の属国であれということだ。

現実には朝鮮戦争が1956年に始まり米国は日本占領軍を半島に出したため、日本国内の治安を保つのに制限をゆるめ保安隊の設立を求めてきたのだ。それが今日の自衛隊に発展した。その結果憲法の条文は宙に浮いてしまったというのが実状である。

日本は今や立派な独立国の筈である。憲法一つ改訂できなくてどうする。世の中は日進月歩で変化している。平和は大切だ。だが十年一日の如き馬鹿は休み休み言えと言いたい。

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山中 千代衛