山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 653)

2015・12・14(月)師走

12月にもなるとやはり寒さが日増しに厳しくなる。世間一般何かと忙しくなり、クリスマスが来て、正月がくると、年が改まる。

年輩者にとって12月の重圧は何といっても日米戦争の幕が切って落とされた12月8日のハワイ攻撃である。山本五十六連合艦隊司令長官は知米の士であったのに、世論の動くまま開戦に踏み込んでしまった。

宣戦布告が30分遅れ、だまし討ちの定評が定まった。当時の野村、栗栖大使にもう一つ才覚があれば、タイプの遅延に見切りをつけ、口頭でも、電話でもすぐさまハル国務長官に伝達すればすんだものを、紋切型に素人のタイプで電文指令を英文に直しているうちに時刻がきてしまったとは外交官としても失格。

軍人も指針を誤り、官庁も硬直下にあり、議会は無力。ジャーナリストは対米開戦を大いに推進する当時の日本は正に狂気の時代であった。

「己を知らず 敵を知らずば 百戦危うし」はまさに至言である。残念ながら日本の上下を挙げて自国の正しい評価が出来ず、10年にわたる支那事変の解決ができないのは米英のせいと、より巨大な敵をつくるという愚策無能は目を覆いたくなる。

ドイツのソ連への進撃が成功し、英国も屈服すると見たのもとんだ僻目である。12月6日にモスクワでソ連の大反撃が冬将軍とともに始まり、独逸は負け戦に追い込まれたのに、12月8日に対米開戦をするとは盲蛇に怖じずもいい所。当時の官民挙げての馬鹿さ加減はまことに手に負えない。情報戦でも完敗である。

3年半も目標のない戦を継続し300万人の兵士の戦死、市民の大虐殺、都市の壊滅、 原子爆弾2発を受けた広島、長崎の惨状はまことにもって天人ともに帰し難い凶行であった。

12月14日は筆者の誕生日で赤穂義士四十七士の吉良邸討ち入りの日である。これは歌舞伎ののどかな舞台であるが、日本の12月8日はまこと鬼門の始まりであった。

無能で威張る軍人の政治は真っ平である。明治天皇の軍人に対する勅語には「軍人は政治にかかわらず 忠節を尽すを本分とすべし」とあるのだが。

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山中 千代衛