山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 659)

2016・1・25(月)山中龍彦君を偲ぶことば

山中龍彦君は私が教授になった昭和38年大学院博士課程修了の第一号生である。彼はしばしばそれを口にして自慢していた。四条畷高校の出身で剣道を良くした素晴らしい人物で、昭和55年教授に昇進した。

何よりも特筆したいことは、彼と一緒になって大阪大学レーザー核融合研究センターの礎を開拓したことである。

昭和44年私は阪大評議員を辞して名古屋大学プラズマ研究所レーザー客員部門に出向した。当時助教授であった龍彦君と他三名のチームと共に現地に乗り込んだ。ダイハツの小型車を用意し、チームの足とした思い出がある。

元々プラズマ研究所は磁場閉じ込め核融合研究の本場で「レーザーで何が出来るか」という空気であった。私たちは1GW大出力ガラスレーザー激光I号改を持ち込んで、「核融合中性子を生成してみせる」と宣言したのである。

何しろレーザーそのものを自ら作り上げ、廻転ミラーでQスイッチをかけナノ秒パルスを発生させねばならない。その上重水素をヘリウムで冷却して真空槽中にアイスキャンデー状のターゲットとして露出させ、ここにレーザーを照射するのである。初めての大実験であるから苦労の山で、これを乗り越え2年がかりで、レーザー核融合の中性子検出に成功した。

高山一男副所長は初めから私たちのシンパであった。大山中とヤング山中と呼びかけて頂いた。この期におよびプラズマ研究所でもはじめて核融合反応の中性子生成で所内に一挙に祝賀の空気が出てきた。

伏見康治大先生も大変ご満足で、翌日の朝日、毎日、読売、日経の朝刊第一面にトップでレーザー核融合による中性子検出の大報道に繋がった。

この実験的研究はきわめて大切なレーザー光の高密度プラズマ中のパラメトリック異常吸収の発見につながったのである。この理論は広大の西川恭治教授の考によるものであるが、レーザープラズマを使って見事に実証された。

このあと5年間はこの異常吸収が阪大レーザー研の売り物で、ゴードン会議、レーザープラズマ相互作用ワークショップ、プラズマ核融合国際会議、米物理学会で場を圧したのであった。詳細はPhys. Review A6, 2335 (1972)に掲載され、レーザー吸収の手本となったのだ。

この業績を高く評価され、伏見康治先生は私が客員部門を去るにあたり阪大総長釜洞醇二郎先生に手紙を書かれ、「山中教授等は名大プラズマ研でレーザー核融合の研究に見事成功したから、ぜひ阪大で研究の場を作って欲しい」と申し入れて下さった。

その結果1972年大阪大学工学部レーザー工学研究施設が生まれ、それ以後とんとん拍子で研究がすすみ、1976年には大阪大学附置レーザー核融合研究センターが発足し、8部門にまで成長した。

この間激光Ⅳ号、激光MⅢ号、激光XII号の建設がすすみ、CO2レーザーも烈光Ⅷ号まで完成、さらに電子ビーム励電Ⅳ号が整備され、アメリカの国立リバモア研、ロスアラモス研、サンディア研に対抗できる日本の研究拠点が確立されたのである。

これら一連の研究発展の原点を支えたのが山中龍彦君である。勿論それ以外に緊密な研究チームが立ち上がり、人呼んで山中軍団の名を轟かせたのである。研究目標の確立、団結力、突破力はまことに見事なものであった。

時変わり 人移れど、山中龍彦君の業績は燦として輝いている。このような弟子に恵まれ本当に研究が楽しかった。山中龍彦君の冥福をお祈りし感謝の意を捧げたい。

どうか安らかにお休み下さい。ご家族の平安を心より願っています。

お便りはcampaign@optolab.co.jpまでお願いします。

山中 千代衛