山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 663)

2016・2・22(月)人生の言葉

大学生活50年にもなると色々の先生方、先輩、同僚、さらには教えた研究者その他との生活の中から人生の言葉が浮かんでくる。工学部の先生方では吹田徳雄先生、山村 豊先生には特にお世話になった。吹田先生の教えはテニスになぞらえて「仕事には緩急をつけよ」であり、山村先生は「誠心誠意」である。

また、七里義雄先生には特別に指導を頂いた。竹山説三先生、熊谷三郎先生、菅田栄治先生、山口二郎先生からは大学人として必要な事項をお教え頂いた。

山村雄一総長には「レーザー核融合研究センター設立」以来、大学との打合せ、文部省との公娼等で特別にご指導してもらった。国内外からの視察者がきた時は必ず同席賜り、色々の場で貴重な日頃の蘊蓄をお教え頂いた。

弟の山村好弘君とは航空学科以来の無二の友人で雄一先生のことはよく聞かされた。非常に優秀な人物で、阪大医学部を繰上げで卒業され、昭和17年海軍軍医となり、当初は駆逐艦文月で南方作戦に参加し、その後航空隊の軍医長として西部ニューギニア作戦に参加された。その時日米の科学技術力の差が質・量共あまりにも大きいことを身をもって痛感された由である。

ある夜飛行隊長と話していた時「今度の戦では生きて帰れない。君は何とか生還して日本の再建に尽してくれ」といわれ、この言葉は一生耳から離れなかったそうである。

特に航空隊の搭乗員は皆素晴らしい連中で全く私がない人達だったという。その9割が戦死し、飛行機もなくなり、現地解散となって、残った飛行機で辛うじて台湾に脱出された。

復員後は日本の再建に自分が出来ることは、科学技術の発展に貢献すると言い、阪大理学部赤堀研究室で「生化学の基礎」を学び、刀根山病院で「結核肺空洞形成」の研究を行い、九州大学医化学教授を経て、大阪大学第三内科教授として多くの優秀な後継者を養成すると共に、戦後の発展に多大の寄与をされたのである。

「地域に生き、世界に伸びる」がモットーでよく「夢みて行い、考えて祈る」と説かれていた。記念館には「天の時、地の利、人の和」の碑文が残されている。死ぬまで仕事に従事され全力疾走の一生であった。好弘君によれば遺骨は太平洋にと指示があったので、ハワイのマウイ島沖に散骨されたという。

残念なことにこの好弘君はこの1月15日に亡くなった。いつも愉快に話が進んだ。親友を失い残念この上ない。心より哀悼の念を捧げます。

ところでこの山村大先輩に見習って筆者の人生のモットーは「知天時 尽人事」である。

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山中 千代衛