山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 679)

2016・6・13(月)山中回想録(5)

昭和47年(1972)大阪大学工学部附属レーザー工学研究施設2部門が発足、同年京都で日米セミナー「レーザーと物質の相互作用」を開催した。この時世界の大出力レーザーによるプラズマ、核融合研究者の大半が集まった。

Rensselaer PolytechnicからH. J. Schwartz、Lawrence LivermoreからR. E. Kidder、John L. Emmett、Princeton大学からJ. M. Dawson、Hughes Research LaboからJ. Y. Wada、KAFBからA. H. Guenther、Los Alamosから Keith Boyer、Rochester大学からM. J. Ruben、Michigan大からR. K. Osborn、Washington大からGeorge. C.Vlasees、US Atomic Energy CommissionからStephan O. Dean、ドイツGarchingからS. Witkowski、ソ連Revedev研からN. N. Sobolevが出席した。

日本側は筆者の他、高山一男、関口 忠、奥田孝美、西川恭治、丹生慶四郎、難波 進、的場 透、桜井建二郎、宅間 宏、泉谷徹郎、他山中研のメンバーが参加した。

ここではレーザー光のプラズマ中への吸収について議論し、西川恭治氏の考察になるパラメトリック共鳴による吸収が取り上げられ、名大プラズマ研客員部門の研究成果が国際的に明らかになった。

これら一連の会合はレーザー研創立早々の大戦果であった。大学附置レーザー核融合研究センターは6部門あったが、電気第三講座に加え、大学院修士電磁エネルギー部門を加えると8部門であった。

この時は個々の部門運営をせず、秘書室を整備し、各研究グループ毎に組織を作り上げた。

まず第一はエネルギードライバー建設のシステムである。最初に本格的に取り上げたのがCO2レーザーである。部品がシンプルで、ガスパルス励起でイオン化し、そこにメインパルスでパワーを注入し大出力を得る。

ロスアラモスのヘリオスの計画と同様である。中井貞雄君、大道博行君、的場幹史君らが参加、烈光XIII号を作り上げた。大出力で大気中にビームを放射すると10にも及ぶ火柱が立つのだ。CO2レーザーは遮断密度が19×1010程度ですぐ電子が高温化、波長19μでは、レーザー圧縮には向かないことが判明した。

的場幹史君は大CO2レーザー建設に寝食を忘れて従事し、遂に病に倒れた。「レーザー核融合が実現するまで死んでたまるか」と意気込んでいた。彼は基礎工学部の村崎寿満教授の所から山中研に来て、大活躍したが、病には勝てなかった。

熱血 的場幹史の姿は山口元太郎と共に山中研の守護神である。

次の計画はガラスレーザーで、激光Ⅰ号、Ⅱ号を経て、激光Ⅳ号の建設に取りかかった。まず素材は燐酸ガラスレーザーで、保谷ガラスの泉谷、三菱電機の喜連川、沖電気、指月コンデンサーの協力を得て4ビーム新型レーザーが完成した。照射チャンバーを備え、早速データが出てきた。

世界最初の燐酸ガラスレーザーである。この流れはリバモア研究所のレーザーシリーズ サイクロプス、アーガス、シバ、ノバ、オメガZシリーズに対抗したもので、激光MII号、激光XII号と一連の流れを形成していった。日本電気の小林宏治社長の協力がまことに力強かった。保谷ガラスの奥津小一郎氏の協力により、レーザー加熱のプロセスに多大な貢献を挙げた。

また励電Ⅳ号ビームマシーンもサンディア研究所に対抗して作り上げ、この間自由電子レーザー、化学レーザーなど各種の大出力レーザーもすべて自作した。

プラズマ核融合実験グループは山中龍彦君を先頭に加藤義章君らにより整備され、新しい計測法を開発していった。

レーザー研究とプラズマ計測の連結をはかるため、プラズマ直結した理論シミュレーションのチームを三間圀興君中心に次第に強力化していった。

新セクションレーザー応用の部門ではアイソトープ分離が井澤靖和君、望月孝晏君を中心に進められ、またレーザー誘雷の研究のため北陸の美浜嶽山にCO2レーザーを開発した。ロチェスター大学と協力しつつ、米リバモア国立研究所、ロスアラモス研究所、サンディア研究所と強力に競争をすすめた。

レーザー核融合研究センターの前にZ旗を掲げ、核融合中性子1010個を検出した。アメリカから大阪の研究結果に驚き、データー視察団を送ってきた。

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山中 千代衛