山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 682)

2016・7・4(月)山中回想録(8)

平成2年宇山君ら姫路工大の電気系が支持し学長に選出された。今までは研究中心の生活であったが、一変して管理専任の仕事である。

着任早々事務局に依頼したのは書写の工学部に新都市上郡の理学部との間のテレビ会議の設定で、事務局の対応はすばやく、よかった。工大の最大の欠点は教務と工学部と理学部がバラバラで統一的意志の欠如であった。その第一着手がテレビ会議である。

ついで大学新構想の委員会を若手中心で立ち上げた。物理系、電気系、化学系、機械系とバラバラの組織を一括しようという計画で、週一回学外で開催した。最初は反応が鈍かったけれど時と共に改良されていった。

一体感の成就には付属高校が必要であった。一時理学部は重荷になると反対姿勢であったが、教授会も新都市で開くようにつとめ、改善されていった。何といっても高度産業科学技術研究所をニュースバル加速器と共に建設できたことだ。科技庁の6GVのビームを分けてもらうことに成功し、大きな結束力が生まれた。

阪大レーザー研の宮本君を配置、万全の体制をしいた。藤原君は電気系の助教授として出講し、一本化に力を入れた。それぞれ大活躍し所長、教授に昇任している。

第二の構想は兵庫県立大学として商大、姫工大、看護大を合併し一大大学に育てることである。幸い貝原知事の理解も得られ、その礎石もすえることに成功した。工大には創立50周年の記念として同窓会の寄付をつのり、書写同窓会館を設立した。その校庭には「明るく楽しく、未来のために」と刻んだ石の記念碑が立っている。

平成5年阪神淡路大震災では姫路は被害がなかった。震災のニュースが届いたのは姫路の著名人が集まる朝食会の席上であった。自衛隊の隊長が急いで退席して行った。震災の報道は最初死者数百人であったが、次第にふくらんで遂に6000人に達した。

全くどうすることも出来ない。コンビニで弁当を買って、池間運転手に家まで送ってもらった。城崎とかその他兵庫県の名所旧蹟は彼の運転で見て回った。姫路城はその中心だ。

姫路工業大学はその後発展し、3学部をもつ兵庫県立大学に発展して行った。ここからは各界の有名人を輩出している。実に稔のある5年間であった。いい経験をさせてもらった。

人生で最もリラックスした日々であった。

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山中 千代衛