山中教授のマニフェスト(OELキャンペーン 683)

2016・7・11(月)山中回想録(9)

平成6年10月姫路工業大学長退任、6年間大学運営を学んだ。戸谷姫路市長は文科省で筆者の経歴を聞き、大切な人材を学長に迎えたと喜んでくれた。「帰りなんいざ、田園将に蕪れなんとす」陶淵明の帰去来の辞そのものである。

6年間留守をすると財団法人レーザー技術総合研究所の諸会合は出席していたが、実務はその後井澤君にお願いしてきた。

藤田君のレーザー加工と島田君のレーザー損傷の技術が認められ、一応斯界の権威にまで成長していた。その他関係者もそれぞれ実力を蓄えつつあった。

山中龍彦君にはアーカイブの整理をお願いしたのだが、急に亡くなり人生の悲哀を実感している。その他関係の深い理研の難波 進君、東京の拠点にして大いに世話になったが、彼も亡くなり、また宅間 宏君も逝ってしまった。

人生まさに悲しい秋であった。「七十、八十働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ。」は耳の痛い所だ。

大阪大学レーザーエネルギー学研究センターとレーザー学会と財団法人レーザー技術総合研究所をうまく運営して行くには、それなりの準備が必要である。縮小日本の今日の状態はまことに厳しいものがある。

世は将に世代交代の時代を迎えている。若手の成長が望まれる。時代に取り残されぬよう深い配慮が必要だ。世界の環境は一変しつつある。Japan as No.1の時代とは全く異なる社会である。

そもそもボタンの掛け違いはどこでおこしたのだろうか。パックスジャポニカは数年で過ぎ去ってしまった。

日本人の本性に立ち戻らねば未来はない。

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山中 千代衛